ケネディ大統領が尊敬した日本人
第35代アメリカ大統領の就任式で、ジョン・F・ケネディが日本人記者から尊敬する政治家は誰か?と質問されました。
即答の内容は「私が尊敬する日本人は、ウエスギヨウザン」
居合わせたほとんどの日本人記者は「ヨウザンって誰?」と、鷹山公をまったく知らなかったようだと伝えられています。
現在、防災の基本は「自助」「共助」「公助」の三助です。
その原点となっているのが、江戸時代の名君とうたわれた上杉鷹山公の「三助の実践」だといわれています。
鷹山公は、日向(現・宮崎県)高鍋3万石城主、秋月家の次男として1751年に生まれ、わずか9歳にして九州から東北・米沢藩主「上杉重定」の養子となりました。
鷹山となるまで、幼名は「上杉直丸克興」、元服後は「治憲」を名乗ったとされています。
上杉家は初代「上杉謙信」のころは越後地方で200万石を超える裕福な家でした。
しかし、2代「景勝」の時「豊臣秀吉」によって会津(福島県)120万石に移封(イホウ:大名などを他の領地へ移すこと。転封 (てんぽう) 。国替え。)されてしまいます。
さらには関ヶ原の合戦で、西軍の石田三成に味方したため、家康により会津から米沢30万石に減封され外様大名にされました。
減封(げんぽう)とは、江戸時代においては大名、旗本などの武士に課せられた刑罰を意味し、武士の所領や城・屋敷の一部を削減することをいいます。
悪いことは続く…
4代から5代藩主の跡継ぎをめぐる手続きで不備が生じ、石高は15万石に減封。
収入は会津時代の8分の1になったものの、その後3代にわたり120万石の礼儀作法を引き継いだため
米沢藩の財政は急激に逼迫(ひっぱく:行き詰まり余裕がない状態)してしまいました。
- 不足分を賄った借金が11万両になる
- 収入を増やそうと重税を課した
- 領民は逃亡、武士は困窮する
それでも当時は経済成長期だったので何とかしのげたのですが、鷹山公が9代藩主となるころには、経済が失速し低成長期に。
ここから、鷹山公が繰り出す怒涛のリベンジが…はじまる
不況下で破綻寸前、領民が逃亡する藩主にはある覚悟がありました。
徹底した倹約、新田開発、産業振興を精力的に進めること。
その指針となったのが「三助の実践」でした。
実践のほんの一部を紹介しましょう…
- 自助=自らを助ける
・米作以外の生産物をふやすこと積極的にすすめる
・米沢という寒冷地に適した漆、楮(こうぞ)、桑、紅花の栽培を奨励
・合戦のない平和な世には藩士も年貢に頼らず「自助」の精神で生産を - 互助=近隣社会が互いに助け合う
・農民に五什組合(ごじゅうくみあい)五ケ村組合を作らせ助け合う
・組合で孤児、独居老人、障害者、夫のない独身女性などの弱者救済
・村が火災・水害など大災害に遭遇したら近隣4村が救援 - 扶助=藩政府が手を貸す
・お年寄りに池・沼の多い米沢の地形を利用して錦鯉養殖を奨励
・錦鯉の好きな老中田沼意次への大っぴらな賄賂で全国的な品不足に
・北国の澄んだ水で育ったビビッドな錦鯉が評判となり収入が倍増
その結果、米沢藩では…
- 病人や障碍者は近隣で面倒をみる
- 老人を敬う
- 飢饉になると富裕者が競って貧しいものを助ける
鷹山公の自助・互助・扶助の「三助の実践」が物質的にも精神的にも美しく豊かなコミュニティを実現したのでした。
米沢藩の業績は幕府に認められ「美政である」として3度の表彰を受けたといわれています。
災害時にガチで機能する稲荷町の防災とは
昨今の日本は、地震やゲリラ豪雨など、毎年のように大きな災害に見舞われています。
今、わたしたちは3つの危機(強敵)に直面しているといえるのです。
1.少子高齢化と人口減少
・生涯未婚率の増加
・晩婚、晩産化で出産年齢が上がる
・平均出産時数の減少
2.地球温暖化による激甚災害の多発
・近年、雨の降り方が激甚化している
・1976年からの10年間、時間当たり50mmを超える降雨が226回
・2018年までの10年間、時間当たり50mmを超える降雨が311回(1.4倍)
3.公助の限界
・地方公務員は減少し続けている
・2005年を100とすると人口1000人当たりで10~20%減少
・日本の人口1000人当たりの公的部門職員数は世界主要国で最低レベル
平成30年7月豪雨(西日本豪雨)から5か月後
2018年12月12日、中央防災会議から驚きの報告書が提出されました。
長文なのでわかりやすくまとめると…
「行政主体の防災から、住民主体の防災へ転換しなさい」
という方針転換で、中央防災会議自ら「公助の限界」を宣言したことになります。
公助に限界があるとすれば、防災対策のすき間を埋めるのは「自助」「共助」のはずですが…
共助:自主防災組織、町内会組織などの「地域のみんなで助け合う」というイメージであり住民同士が助け合うことはとても重要。しかし、「みんな」は顔が見えない。
自助:自分や家族の命は丸投げしないで、自己負担を原則とする。しかし、個人の力には限度がある。
では、どうすれば住民主体の防災は機能するのしょうか?
近助:顔の見える隣人同士で助け合う「互近助」と「自助」をセットすることが重要になってくる。
稲荷町が目指す未来の防災は、この「自助×近助」の確立が、町区住民の安全を左右するといっても過言ではありません。
データが警告する公助と共助・互助
1995年に発生した「阪神・淡路大震災」
建物の下敷きになった自力脱出困難者は、3万5000人を数えました。
そのうちの77%は、家族や近隣住民によって救出されています。
亡くなった人の92%は地震発生後14分以内に死亡しているというデータがあります。
早く助けなければ助からない、助けられるのは近くにいる人だけということになってしまいます。
大規模災害発生直後は…防災関係者が、すべての箇所へすぐに駆けつけることは物理的に不可能。
切り札となるのは、向こう三軒両隣での隣保救助ということになります。
その理由はこうなります…
- 従来から地域防災は「自助」「共助」「公助」の三助。
- 「共助」は「自主防災組織」へと進展したが、今や形式的な組織に陥っている。
- 最近では、従来の三助に「互助」を加えている取組例があるが、「共助」との違いや境界がわかりにくい。
被災した地域の自主防災組織の役員や町内会長に話を聞いてみると…
「大災害が発生したとき、家族、親戚、隣人のことで精いっぱいだった。
自主防衛組織や町内会が集まって対応できるのは災害後3日~5日くらいたってからだった。
小さい災害であれば、みんなが集まって訓練通りできたかもしれないが…それどころではなかった」と。
平時には問題ない「互助」「共助」ですが、緊急時・大規模災害時に機能しない可能性が高いのは、間違いないようです。
多くの災害現場を検証すると…
自助、互助、共助、公助も大切ですが、災害時の原則は自助と近助の防災隣組だと痛感させられます。
災害時の原則は…
- 自分や家族を自分たちで助ける「自助」
- 近くにいる人が近くにいる人を助ける「近助」
「互助・共助」は、みんなで助け合うという美しいイメージがあり平時なら問題ありません。
でも、災害時には「みんな」という言葉ほど無意味に感じてしまいますよね。
大地震が起こって大きな揺れの中「みんなで頑張ろう」はありえません。
誰もが自分の命を守ること、目の前のことで精いっぱいになるからです。
生き埋めの人がいたり火災が発生したら、「みんなで救助しよう、みんなで火を消そう」はありえません。
命にかかわるような一刻を争うときは、みんなの共助や互助ではなく、近くにいる人が近くにいる人を助ける近所しかないのです。
「みんな」という言葉が機能しない理由は…
- 防災に当てはめた途端、抽象化してしまうから
- 一見わかりやすそうだが、つかみどころがないから
- 耳触りがよく美しい言葉だが、顔が見えないから
「自助」と「共助」「互助」の隙間を埋める「近助」。
本当の自治は、自分、家族、隣人、自分たちは自分たちで守る「セルフディフェンス」ではないでしょうか。
命を守るには、行政からの一方的な自主防災でなく自守防災です。
そのうえで、行政・地域団体との協力が必要不可欠になります。
2大震災の教訓は「防災隣組」
ここ20年、日本は阪神・淡路大震災と東日本大震災という二つの大震災に襲われ、多数の犠牲者と甚大な被害を経験しました。
この国は、防災対策を強化していて、災害そのものは無くせないが被害はもっと少なくすることができるはず…でした。
なのに、大規模災害が発生するたびに「公助の限界」がメディア等で晒されてきたことも事実。
2つの震災は、従来の防災対策や防災訓練では、「自助」「共助」「公助」が必ずしも機能しないことを証明してしまったのです。
最大の誤算は…
「みんな=共助で防災」の掛け声で結成された地域防災の切り札、自主防災組織がほとんど機能しなかったこと。
前述しましたが「自分と家族と隣近所のことに追われ、それどころではなかった」と複数の自主防災組織の会長さんの言葉が証明しています。
命を守るという究極の防災・危機管理の現実は、自分や家族の命を「みんなは守ってくれない」ということです。
自分で守るしか選択肢はないというのがいう究極の防災・危機管理の現実であり、動かしがたい事実なのです。
隣人を守れるのは、無責任な「みんな」ではなく、隣人自身か近くにいる隣人なのです。
地震や豪雨と頻繁に遭遇するであろう今と未来。
みんなが同時に大災害という危機に陥った時のために、より具体性をもった命を守る仕組みがこれほど必要とされる時はないでしょう。
それは「自助」と「共助」の間に「近助」を据えて、近くの他人同士で助け合うということです。
向こう三軒両隣で安否確認。
同じ地域に住んでいる運命共同体という認識をもつこと。
町内会・自主防災組織の中に防災隣組を結成することです。
【参考と引用文献】
「スマート防災」 山村 武彦 著(防災・危機管理アドバイザー)
「互近助の力」 山村 武彦 著(防災システム研究所 所長)
「どこまでやるか町内会」 紙屋 高雪 著